【説教録画は <Youtube>】 向河原教会の、伝道開始から72年の時を迎えました。1951年10月24日に、向河原教会は、この地に伝道を始めました。「なんとかしてキリストの教えをこの子どもたちの心に刻み込みたい」との祈りによって、武藤富男師により聖書研究会が始められました。1957年に教会が設立され、最初は保育園や工場、河原でも礼拝を捧げました。1959年に土地を取得し、会堂建築を計画します。向河原教会は1951年のラクーア牧師による音楽伝道と、武藤富男師の力添えにより動き出しました。 終戦を迎え、武藤富雄先生が設立した日米会話学院の講師の一人がラクーア牧師でした。音楽伝道は、ラクーア牧師の貯蓄を使い、大きなトレーラーで生活をし、そこに楽器を積み、各地を回りました。苦労の絶えない伝道活動であることは容易に想像つきます。けれども、苦労の中にも、活き活きとした喜びに満ちた顔が浮かびます。 「わたしの身に一つのとげが与えられました」 。使徒パウロがコリントの教会の人達へ書いた手紙の一節です。自分の弱さを告白しています。彼はその自分の弱さを 「一つのとげ」 と表現しています。彼は何らかの難しい病気にかかっていたようです。しかし、彼はこの病を、 「思い上がらないように…サタンから送られた使い」 と言います。この言葉にはパウロの信仰が力強く告白されていると思います。多くの人は、「なぜ自分がこんな目に遭うのか」と、神に対して、恨みや呪いの言葉が出てきてもおかしくないでしょう。しかし、パウロはここで、自分の傲慢さ、自分の罪といったものに目を注ぎ、「思い上がらないように」自分に与えられた試練であると告白しています。 直前の箇所の「自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません」(12:5)。多くの人は、自分の弱さは隠して、人から評価されるものを表に出して誇ると思います。しかしパウロは、キリストに仕える者としての自分を誇っていて、その内容は、艱難苦難、飢えや迫害、日々のやっかい事や心配事でした。キリストを信じて従っているのに、踏んだり蹴ったりの連続です。「誇り」について、「わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです」と言います。「とげ」は、パウロを苦しめていた病気だったで...