【説教録画は <Youtube>】 「信仰」 とは何か。わかりやすいようでありながら、説明することの難しいものです。「ヘブライ人への手紙」は説教の言葉であると考えられています。具体的な教会があり、説教者が語りかけた言葉です。 11章では、教会の信仰の原点、「すべては神様から始まった」という事実に立って、信仰とは何かを語っています。そして、聖書に記される 「昔の人たち」 は何を見つめて生きたのか、旧約の時代に遡って語ります。 イエス・キリストは、物事の本質に、常に目を向けておられました。それがどこにあるのかを見定めながら歩んだ。このことは逆を言えば、イエス・キリストは、本質以外のことに関しては、気に留めない自由な方でした。信仰を持つということを外から見れば、不自由で、何か制限されるように思われるかもしれません。しかし、そうではなく、神を信じることは、この世界の本質、命の本質を知るということで、私たちは命を脅かすものを前にしても、死からも自由である者となるのです。主イエスのご生涯は、それをお示しになっていました。 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」 。厳しい迫害の中でも信仰を捨てないようにと、読者を励ましてきた著者が、その信仰とは何なのかを一言で表しています。信じることは、決断がいることです。決断なしには信仰に入ることはできません。しかし、信じたら疑いや迷いがなくなるのではありません。信仰者も迷いますし、信じられなくなることだって、訪れるかもしれません。見えない事実を信じるのですから、それは当然のことのように思います。その時こそ、礼拝に来る。聖書を読み、祈ることを大切にしたいと思います。その信仰によって、確信に変えていただくためです。 ある人は、信じることは時間を必要とすることだと言います。互いを知らなければ、信頼してお金を預けることや、貸し借りはできません。また、信じることは時間もかかるだけでなく、迷うこと、疑うこと、わからない、と言うことも、信じるという事柄の中に含んでいるのです。聖書を読んでいても、神様の御心、ご計画がわからないということはいくつもあります。そして、わからないけれども、信頼する。それにはやはり、時間がかかるのです。しかし、信じられないことを無理に信じ込むことはありません。それは信仰ではあ...