2023年7月30日主日礼拝
「主に導かれて」和泉 景太 先生(横須賀学院聖書科教諭)
マタイによる福音書 6章33節

【説教録画は <Youtube>】

《証し》

  昨年度まで横須賀学院高校で聖書科の常勤講師として勤務させていただいておりましたが、この度基督教団の補教師となり、今年度から教務教師として仕えさせていただいております。  

 去年の今頃は、このように講壇に立つことは一生涯ないだろうと思っておりましたので、今でもこの場に立っていることが不思議でなりません。ここまで本当に紆余曲折ありました。振り返ってみますと私の人生のその一つ一つの出来事に神様のご計画と導きがあったのだと確信しています。

  私がキリスト教と初めて出会ったのは小学校三年生の時です。理由は母がクリスチャンになったからというシンプルなものです。私の母は元々クリスチャンではなく、熱心な神道の信者でした。しかし、そんな母がある日突然クリスチャンになると言いだしたのです。 私は今まであんなに大事にしていた神様を捨て、いきなりキリスト教になったと言われてもよくわかりませんでした。そこはまだ素直さがある年頃なので母親と同じものを信じたいという気持ちがあり、少しずつ母と一緒に教会へ通うようになりました。 その後、母がいろんな集会などに連れて行っていろんな先生の話を聞かせてくれたので、少しずつ信仰は深まっていきましたが、今の自分の信仰を形作った決定的な出来事は、私の目の前で繰り広げられた母と祖母の口論がきっかけでした。事の発端は母が家にある神棚や日本人形など、自分が信仰的にいかがわしいと思った家にある物を全て破壊し捨てたことでした。それを知った姑が母の実家に連絡し、祖母が自宅に飛んできて母と口論が始まりました。 その口論があまりにも壮絶なものだったので子どもながら、クリスチャンであるということはある種戦いであり、信仰は必死で守らなければいけないものだとそう思いました。 

  洗礼は高校一年生のクリスマスに受けました。大学卒業後、テニスコーチ、高校の体育教員を経て、神様にもっと仕えたい、牧師となって伝道したいという召命が与えられて東京神学大学へと入学し献身への道を歩みました。しかし、神学生時代に自分自身の欠けの多さに気付き、伝道者として仕えることが怖くなり、卒業間際に伝道者としての道を歩むことをやめる決断をしました。このとき、もう二度と自分から献身すると言い出しませんと神様に祈ったのを覚えています。東京神学大学に入学したとき、確かな召命を持っていました。今でもあれ以上の召命感はないと思います。しかし、あれだけ確信を持っていた召命ですら捨ててしまうような人間であるなら今後どのような召命感や志を持ったところで信用できず、自分から献身するなど到底言えないと思いました。

  そんなわたしに人からの紹介で学童保育の仕事が与えられました。毎日子どもたちと接しながら働くのはとても楽しく天職と思えるほどでした。そこで妻の優唯美さんと出会い交際を始めました。子どもたちに囲まれてとても充実した日々を送っていましたが、そんな矢先とんでもないことが起こったのです。当時はまだ交際中であった妻の住んでいた実家が火事にあい、さらにその火事に巻き込まれて妻の両親が亡くなってしまいました。妻は無事でしたが、一日で家族と住む家や持ち物のほとんどを失ったのです。住む家がなくなったので私の家に住むことになりました。火事のあと、妻はしばらくショックで寝たきりになりました。仕事も休職し、毎日泣いていました。私はそばにいることしかできませんでした。

  半年ほどたって妻が少しずつ回復してきたころに追い打ちをかけるように今度は私に災難が降りかかってきました。ある日突然会社から解雇を言い渡されたのです。妻のこともあり争うこともできず受け入れるしかなく、怒りと悔しさでしばらく私も塞ぎ込んでいました。しかし、この出来事が良い方向へと向かわせました。不思議と私が会社をやめた頃から妻の回復が早くなったのです。妻と一緒にいる時間が増えたこと、そして何よりお互いに深い傷を持つ者同士、心から相手の苦しみを受け止め慰め合うことができたのだと思います。わたしも普通に考えたら会社をいきなり解雇されるってとんでもないことなのですが、妻の身に起こったことを考えると自分にたいしたことないなと思えてきてすぐ立ち直ることができました。そしてなにより仕事がなくなったことで、二人で居られる時間が長くなったことがプラスに働きました。それぞれに降りかかった恐ろしく不幸な出来事がお互いを助ける出来事となったのです。あの火事が起こったときは彼女のためにわたしが遣わされたと思っていた。しかし会社を解雇されたとき、神様はわたしのために彼女を遣わしてくださったのだと思わされた。神様のなされることは我々の想像をはるかに超えていると思います。

  そこから不思議な導きが立て続けに起こりました。私のことを知った友人にこの際に失効した教員免許を更新させるようにと強くアドバイスを受け免許更新することになりました。そして何年も連絡をとっていなかったのですが、わたしの状態を知った石丸先生が連絡をくださって、そこから向河原教会に通わせていただくようになり、さらには今いる横須賀学院の聖書科の講師を紹介してもらい働くこととなったのです。本当にすべてのタイミングが完璧だったとしか言いようがありません。

  自分で閉ざした伝道者の道を神様が様々な出来事を通してこじ開けてくださったのです。そして昨年、頑なに拒んでいた補教師試験も小松先生はじめ多くの友人や同僚の後押しと支えを受け、受験し合格することができ、今に至ります。これからの人生もまだ多くの困難があると思います。もしかするとこれまで以上の困難があるかもしれません。しかし、神様はどんな絶望的な状態からもかならず希望へと導いてくださる。喜びへと導いてくださるということを信じて歩んでいきたいと思います。