2022年10月23日創立記念礼拝
「日常と希望」小松 美樹 牧師
ヤコブの手紙 1章19~27節
10月23日9時半から教会学校

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 2022年度の教会の年度聖句の言葉を聞きました。「御言葉を行う人になりなさい」。これは、そこに大切な何かがある事を知って御言葉を見つめ、心に留め続ける人です。

 「マタイによる福音書」を通して、私たちに語られる御言葉の中に留まる一年としたいと願い、この言葉と共に歩んでいます。 私は教会の年度聖句に掲げられたこの言葉が好きです。ハッとさせられる一言でもあります。私が教会に着任するよりも前の、2015年からこの年度聖句を掲げています。この年度聖句を聞いたとき、なんて良い聖句を掲げている教会だろうと思いました。年度聖句や教会の活動目標を具体的に上げている教会も、そうでない教会もあります。しかし、あまり具体性がなく、よくわかるようなわからないような目標、教会用語的に出会うこともありました。 しかし、この聖句は私たちの生活、生き方、そのものが示される思いがします。

  ヤコブの手紙はルターが再発見した信仰義認の教えに逆らった、行為義認として読まれることがありました。ヤコブの手紙は現実の振る舞いと、信仰がどのように結びつくか書かれています。私たちの信仰は、「信じていれば何をしてもいい」というものではありません。信じているからこそ、それは行いに現れるものです。それはまさに教会のあり方です。

 向河原教会はそのような信仰者の集まりにより、神の導きによって始まりました。「なんとかしてキリストの教えをこの子どもたちの心に刻み込んでいきたい」という祈りにより、聖書研究会が始められました。土地を得ること、場所を探しながら、信じ、集まりをしてみること、それを続けていくことはなんと難しく、努力を必要としたことかと思います。1951年に聖書研究会が始まり、1957年に教会が設立されました。最初は保育園や工場、河原で礼拝を捧げ、1959年に、ここに土地を取得し、会堂建築を計画します。建築費用の頭金となる20万円の献金が集まりました。教団の建築認可を得るために必要な、近隣教会の承諾が、会堂建築中の故になかなか得られませんでした。そこで、武藤先生は向河原の会堂ための頭金全額を隣の教会に献げ、神の御心に任せました。程なくして建築の許可が出ますが、建築資金は振出し。けれども、武藤先生が関わった音楽宣教団のラクーア宣教師を通して、子を亡くした夫妻から記念献金が献げられました。それは、主イエスの言葉を一心に見つめ、行い続ける歩みです。それが無くては、教会は教会として71年も歩み続けることができません。

 72年目を歩み始めようとする今、様々な状況の変化の中にあります。信仰の先達たちが、天に召される寂しさを覚えたり、活発だった集会や教会の伝道は最近ではなかなか見られません。これからの教会の状況が、人の目には困難に思える時期を迎えています。 旧約聖書の預言者たちは、神からイスラエルの民をエジプトから導き出すよう命じられた時、逃れようとします。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。…どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください」(出4:10、13)。「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから」(エレ1:6)。神から命じられ、その任に就かなければいけない時、みな最初は、自分がいかに相応しくないか、向いていないか、能力不足かを並べて抵抗します。確かに、私たちは能力、資質、時間、お金など、色々とないものばかりに目を向けます。しかし、信仰者にとって「ない」ということは、決して悪い事ではありません。むしろそれは、神の恵みをより深く知り、味わう上で大切なことです。 向河原教会の最初も、資金をなくしたところから始まりました。 72年目の歩みの中「御言葉を行う人になりなさい」この御言葉に聞きたいと願っています。

  御言葉を行うという事をすぐに実行出来ないと思います。しかし、それを聖書も知っています。「主イエスの言葉を一心に見つめ、守る(留まる)人」。つまり、聖書は直ちに行えとは言いません。すぐに行なう事ができなくても、そこに大切な何かがある事を知って御言葉を見つめ、心に留め続ける人を「御言葉を行う人」と聖書は言うのです。 礼拝から送り出される生活の中で、御言葉を見つめ、いつか自分の中で実を結ぶことを願いながら、御言葉の中に留まる一日一日を重ねて行きたいと思います。 礼拝は目に見える、この恵みを体験するところです。そして、礼拝から送り出され、それぞれの生活の場所にも注がれている神の恵みを見抜き、一人静かに心からの賛美を神に献げ、一週間のあらゆる課題、矛盾、隣り人への執り成しを一身に担って礼拝へと戻ってゆきます。礼拝と生活は切り離せません。御言葉に聞く生活は礼拝から始まります。礼拝を喜び、礼拝を大切に、一日一日を重ねて行きたいと思います。