2022年10月16日主日礼拝
「神のものは神に」上野 峻一 先生
マタイによる福音書 22章15~22節

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 マタイ福音書の第22章は今日の箇所から22章の最後まで、主イエスに対する問いかけから一つの出来事が語られます。
 今日は税金に関すること、その次は復活、三つ目は最も重要な律法の掟について、そして最後は、主イエスから人々に問いがなされます。そのどれも、ユダヤ人にとっては非常に重要な問題です。

  今日の聖書のはじめ、ファリサイ派の人々は、主イエスのことばじりを捉えて罠にかけるつもりです。そのために出て行って相談しました。考えて考えた結果、彼らの弟子たちをヘロデ派の人々と一緒に主イエスのところへと遣わします。恐らく、ヘロデ派と呼ばれる人たちとは一緒にいられなかったのでしょう。ヘロデ派というのは、マタイ福音書ではここにしか登場しません。領主ヘロデ一家に親近感をもつグループがありました。ローマ帝国の支配にあって、領主ヘロデが上手く振る舞うには、ローマに税金を納めて良好な関係が必要です。それに対して、ファリサイ派の人々は逆です。ローマ帝国に税金を納めることに疑問を持っています。ローマ帝国の支配やローマ皇帝を神とすることには不満しかありません。立場の違うヘロデ派とは、一緒にもいたくないはずです。けれども何とかして、主イエスをやっつけようと、そこは一致ができました。

  彼らは、主イエスに訪ねます。その最初の言葉は、まるで原稿を用意してきたような、おせじ、もしくは嫌みたっぷりな言葉でした。第22章16節「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人を分け隔てしないからです。」最後の「分け隔てしない」というのは、直訳すると、「人の顔を見ない」となります。主イエスというお方が、どういう方であったかわかるような言葉です。人の顔色を伺うことなく、言うべきことを言う感じでしょうか。もちろん、主イエスは、私たちの心を知り、いや私たち以上に本当に私たちの必要を知るからこそ、語るべきことを人の顔を見ずに語られます。しかし、それが、ファリサイ派やある人々にとっては、非常に厳しいのです。正しいことほど、刺さるものはありません。まさに、それが、ファリサイ派への「偽善者」という言葉に表されています。

  彼らの問いは、こうです。「ところで、どうお思いでしょうか。教えてください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか。適っていないでしょうか。」当時のユダヤ人に課された税金は、苦痛しかありません。今日の聖書で話題になっている税金は、人頭税です。納税期間は不明ですが、ユダヤ人の義務として一人あたり1デナリをローマ帝国に支払います。一デナリは、一日の労働者の賃金です。それをローマの通貨で納めます。問題は、この指定された通貨にもあります。この貨幣には、ローマ皇帝の名前と肖像が彫ってありました。それは、十戒の第二の戒め「刻んだ像」に反します。つまり、税金を納めるだけでも嫌なのに、偶像を刻んだ通貨を持っていなければならないのです。 主イエスは、彼らの悪意に気づかれます。なぜなら、彼らの問いそのものが、タブーとされている質問であったからです。自分たちも、既にローマ帝国への納税に律法的な問題があることをわかっていたにも関わらず、あえて主イエスに問いかけることをします。主イエスが、納税を認めても、認めなくても、罠にかかるためです。主イエスは、ここで、わざわざお金を持ってこさせ、彼らに問います。「これは、誰の肖像と銘か」。彼らは答えます。「皇帝のものです。」

 主イエスは問いに対して、問いで返します。それによって、彼らは当たり前であった出来事に疑問をもちます。あるいは、自分でも気づかなかった自分を知ります。すると、主イエスは言われます。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らの驚きは、計り知れなかったと思います。もう何も言うことができないばかりか、その場にいることさえもできませんでした。 ここで気づくのは、彼らの質問に答えるだけであるなら「皇帝のものは皇帝に返す」という返答だけでよかったのではないかということです。しかし、そうではありません。「皇帝のものは皇帝に、そして、神のものは神に返しなさい」と続きます。つまり、主イエスが、本当に私たちに伝えたかったことは、後半にある「神のものは神に返しなさい」ということです。本当は神さまから与えられなければ、私たちは何一つ持っていません。主イエスなしには救われるどころか、自分の罪にさえ気づきません。そのままでは、いつも神ではないものに縛られ、真理から遠く、不自由な生き方を続けるだけです。私たちには、主イエス・キリストに信頼して、「皇帝のものは皇帝に。神のものは神に返す」生き方が求められているのです。