2022年2月13日主日礼拝
「人の目に縛られる」
小松 美樹 伝道師
マタイによる福音書 14章1~12節

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 マタイ3章に登場した「洗礼者ヨハネ」が捕らえられていました。そのヨハネが領主ヘロデの誕生日の祝いの席で、ヘロデの指示によって首をはねられたのです。その時の出来事が回想シーンのように描かれています。「そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、家来たちにこう言った。『あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている』」。ヘロデは主イエスの評判を聞き、「自分が殺したはずのヨハネが現れた」と思ったのでしょう。そして不安や恐れを抱いたのです。 

 「洗礼者ヨハネ」とはユダヤの荒れ野で教えを宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた。」と人々に悔い改めを説いていました(3:1-12)。ヨハネが捕らえられた理由は、「ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。ヨハネが、『あの女と結婚することは律法で許されていない』とヘロデに言ったからである」

 「領主ヘロデ」は、マタイ福音書2章に出てきた「ヘロデ王」の息子でヘロデ・アンティパスという名です。ヘロデ王の死後、その領土は3人の息子たちによって分割統治されました。 領主ヘロデは、自分の兄弟から妻を奪い、自分の妻にしました。洗礼者ヨハネはヘロデに「あの女と結婚することは律法で許されていない」と批判をしました。ヨハネは、人々に悔い改めを求めていましたので、ヘロデの結婚についても、姦淫の罪に当るということを指摘していたのです。そのことで、ヘロデはヨハネを捕えて監禁したのです。その後、ヘロデの誕生日の祝いが開かれて、ヘロデとその妻へロディアの娘が、皆の前で踊りを踊りました。この娘は、妻ヘロディアと先の夫との間の娘で、聖書に名前は出てきませんが「サロメ」という名として伝えられています。若く美しい娘の踊りに、宴席は盛り上がり、ヘロデも喜びました。そして、ヘロデは娘に「『願うものは何でもやろう』と誓って約束した」。娘は「母親に唆されて『洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください』と言った」。ヘロデは、自分には支配力があり、娘が願うものは何でも与えることが出来ると思っていました。そこにいた多くの人々が自分の言葉を聞いていた。皆が見ている。そのことが彼を縛り、不自由にさせ「心を痛めた」のにも関わらず、自分の言葉を撤回することが出来ませんでした。娘の願い通り、人を遣わし、牢の中でヨハネの首をはねさせ「首は盆に載せて運ばれ」、少女から母親へと渡されました。 弟子たちはヨハネの遺体を引き取り葬りました。そのことが主イエスのところに報告されました。ヨハネも、主イエスも、その弟子たちも悲しみは深かったでしょう。けれども聖書は、ヨハネを殺したヘロデのことを批判するようなことは、記していません。こんな残酷なことがなぜ聖書に書かれているのか。主イエスの道備えをしたヨハネがなぜ殺されなければならないのか。そう嘆くのは読み手の私たちです。聖書からわかることは、ヨハネはこの一連の出来事により、自分の身が危なくなることを知っていたはず。しかし、ヨハネは、正しいと思うことには、口をつぐまなかったということです。 

 1950年代のアメリカの公民権運動の中心にいて、人種差別の撤廃を求めて活動していたキング牧師の演説と言うのがあります。酷い差別の中を生きていたキング牧師の演説は「I Have a Dream」と繰り返し語られ、人々を惹きつけました。彼はまだ公民権がない中、「自由になった!自由になった!」と言って演説を終えるのです。彼の見る先には、絶対的な真理が輝いているのです。 

 イザヤの預言で語り伝えられてきた、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」という言葉を洗礼者ヨハネは見上げつつ、人々に語っていました(3:3)。聖書には獄中書簡と言われる、牢の中から書かれた手紙もあります。牢に捕らえられた仲間は無事にはいられないとわかっているから、「無事に出てきますように」と祈れない状況がありました。しかし、聖書に記される洗礼者ヨハネも、獄中にいた者、殉教者たちも、「この出来事があったとしても、神の言葉が広がっていきますように」と祈っていたことでしょう。この御言葉が私たちに語りかけるもの、それは同時に、教会の歴史が語り掛けています。

 ヨハネの首がはねられても、弟子たちが迫害にあっても、教会は今ここにあります。ヨハネは牢の中から、主イエスという希望を見、首をはねられる時にも、絶対的な真理を見、神の支配の中を生きていたのです。