主日礼拝2021年10月24日
「七十年先を見よ」小松 美樹 伝道師
エレミヤ書29章1~14節、ヤコブの手紙1章19~27節

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 「御言葉を行う人」とは誰か。別の箇所では「自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、守る人は聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です」とあります(ヤコブ 1:25)。つまり、そこに大切な何かがある事を知って御言葉を見つめ、心に留め続ける人を「御言葉を行う人」と聖書は言います。マタイによる福音書を通して、私たちに語られる御言葉の中に留まる一年としたいと願い歩んでいます。教会の歩みというのは、まさにそのような歩みであると思います。

  70年前の今日、1951年に向河原教会はこの地に伝道を始めました。「なんとかしてキリストの教えをこの子どもたちの心に刻み込んでいきたい」という祈りによって、聖書研究会が始められ、1957年に教会が設立されました。最初は保育園や工場、河原で礼拝を捧げたそうです。1959年に、ここに土地を取得し、会堂建築を計画します。建築許可が出るまでのことが記念史に記されています。神の御計画にゆだねて、資金をすべて献金に捧げることから始まりました。

 70年経った今、様々な状況の変化の中にあります。聖書は将来を見よと言うとき70年先を見よと言います(エレミヤ25:11、ダニエル9:2など)。数年後の具体的なものではなく、腰を据えて見ないといけない長い期間です。改めて、教会の創設者たちは、どのように今を見ていたのかと思います。 エレミヤ書29章は預言者エレミヤが「バビロン捕囚」によってバビロンに連れて行かれた人々に宛てて書いた手紙が記されています。神の民イスラエルの歴史において「バビロン捕囚」は決定的な影響を与えた出来事でした。第一回捕囚でバビロンに連れて行かれた人たちに、エレミヤが書いたのは、国が滅びの道へと落ちていく中でのことです。人々の生活、価値観も崩れ、希望が失われていく中、故郷から遠く離れた地で捕囚の民が生きていくのは、厳しいものでした。生活が一変し、その地で暮らしている人たちとの関係も難しいものがあったはずです。自分たちの信仰生活の中心であったエルサレム神殿から遠く離れ、いつ終わるか分からない捕囚生活の中で、支えを見失いました。

 「バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す」。「七十年」は人の一生を意味します。この言葉を聞いた人々は生きている間に「恵みの約束」が果たされることがありません。エレミヤが告げる「七十年」は、自分たちが捕囚から解放されてエルサレムに帰還することなく、バビロンで一生を終えることを意味します。完全数の解釈ならば、もっと先の今生きている人々の天に召された、その先までを指します。

 「七十年先を見よ」。それが神の民の希望のあり方です。信仰の希望は、自分が生きている間だけの話ではありません。神の計画は「災い」を目的とするのではないと言います。イスラエルを約束の地に戻し、「将来と希望を与える」。これこそが神の計画です。どうしてそんなことを信じて、「将来と希望」を望み見ることができるのか。将来に希望がなければ、人は十分に生きることができません。誰もが何かに希望を託して生きます。私たちの目は将来に向けられており、そこに何が待ち受けているのか一刻も早く知ろうと努めます。

 しかし、ある奇妙なことに、「将来」と訳されたヘブライ語は「背中、背後」の意味を持つ言葉でもあります。他の聖書の箇所でも同じ言葉で同じ様に受け取れると言っている研究者がいます。「まだ成らない」と同じ意味です。先の事、つまりまだ見ぬ将来とも訳されるのです。「背中、背後」を意味すると同時に「未来」とも意味します。

 ヘブライ人は将来を背中背後にあると考えているということです。将来が背中の側にあると言うのなら過去は目の前にあるのです。ヘブライ人は未来に背を向けて過去を見つめているということです。

 私たちも過去を「振り返り」ます。これまでの歩み全てが神の御手の中にあり、導いてこられた神の業を思い起こす時です。それは目の前に広がる、ありありと思い浮かぶ神の愛の業です。そこから将来へ向かう時、これまで神が私たちに示してくださった出来事が目の前にあるから、信頼して、将来の見えない背中の方へと進むことができるのです。

 「捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。」と、敵のために祈り、執りなし、神の平和を祈れとエレミヤは告げます。主イエスは山上の説教においてまさにそのように私たちに教えられました。

 71年目を迎える歩みの中で、さらに70年先を見据え、これまでの教会の歩みがそうであったように神の守りの中にあり、御言葉を見つめ、この国に、この地域に、神の平和が成るようにと願いを大きくしてまいりましょう。