合同礼拝説教6月13日

「大切な事」
マルコによる福音書 3章1ー6節
小松 美樹 伝道師

[録画]


  「子どもの日・花の日」を覚えて合同礼拝を捧げています。まだ子どもの尊厳が低い時代にアメリカの教会で子どもを中心とした礼拝をしたことから子どもの日の礼拝が始まりました。花の日は、教会に集まる人が花を持ち寄り、礼拝堂を飾り、礼拝の後にその花をもって病院など地域の施設に子どもたちと訪問したことから始まりました。それが日本にも伝わり、今でもこの日を覚えて礼拝します。

   聖書には、礼拝のために集まった人々の様子が書かれていました。イエス様は安息日に会堂にいました。安息日は礼拝のために働いてはいけない日でした。今の私たちと同じ様に、神様を礼拝するために集まっていました。そこには手の萎えた人がいました。病気で片方の手が動かせない。病気を経験すると初めてわかる、大変な生活。辛さがある。会堂の端っこに隠れるように来ていたのかもしれません。人と比べて劣っている、「わたしなんか」、と思うようなことには、わたしたちは隠れる思いを持ちます。そのことをイエスさまはよく知っていました。イエス様は「真ん中に立ちなさい」と手の萎えた人に言いました。真ん中に立つと注目が集まります。病気とか弱さ、得意じゃないことも、人に見られたくないという思いを持つと、気持ちが小さくなって人目を避けたり、悲しい気持ちになります。そんな時は、自分の気持ちにばかり心が向き、神様の方を見ることを忘れてしまう。でも、悲しい思い、恥ずかしい思い、痛くてつらい気持ち、そういう思いと自分自身を端に押し込めてしまうのではなくて、イエス様は「真ん中に立ちなさい」と言われ、その時に抱えている悲しみや、つらい思いを一人で抱えるのではなく、そういう人こそ「真ん中に」招いてくださいます。

   そんな中、「イエスを訴えようとようと思って、安息日にこの人の病気を癒されるかどうか、注目していた」人たちがいました。働いてはいけない安息日に治したら、訴えてやろうと考えていたのです。イエス様はその罠を知っていましたし、そんな思いの人々を見て、悲し思いになりながら、手の萎えた人に「手を伸ばしなさい」と言いました。すると「手は元どおり」になりました。それを見ていた人々は、「イエスは、ルール違反をした!」と攻めようと思いました。でも訴えようとする人も、本当は神様のこと大好きで、「安息日は休む」というルールを守ってきた人でした。それなのに、一所懸命守るあまり、神様を礼拝しに来るはずの日なのに、大切なことが見えなくなってしまいました。

  イエス様は教えてくれました。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」と。人が善悪と思うものと、イエス様の言う「善」がぶつかり合っていました。善がぶつかると、争い、にくみ、さらに国と国の戦争につながります。イエスさまを訴えようとする人にとって、安息日を守ることは「善」でした。律法の規定を守ること。安息日の「働くな」ということを、自分にも、そして他の周りの人たちにも課していた。それがこの人の善であり、正義になっていたのです。イエス様の教えてくれた善は、命を救うことでした。イエス様を訴えようとする人にとって、手の萎えた人のことなんて、どうでもよかったのです。怪我していようが、苦しんでいようが、どうでもいい存在であり無関心でした。その手は不便かもしれないけど、命に関わる病気でことではない。手の治療は今日じゃなくて、明日でもそんなに困らないでしょ?と他人事なのです。

  「安息日に律法で許されているのは…命を救うことか、殺すことか。」の「命」は「魂」でもあります。手を癒すことは、魂の救いになるのです。それは、体は元気でも、心が悲しみでいっぱいの心を救うということ。死んでしまうような病気ではない。でも神様の前にいても、心が悲しくてたまらないあなたの魂を救おうと言ってくださるのです。

   イエス様は安息日の掟を破ったのではありません。本来の安息日の意味を失っていた人々に、大切なことが見えなくなっていた人々のために、本当の安息日をこの時取り戻してくれました。細かい規定にばかりこだわって、命や魂が救われるための大切な礼拝だということを忘れていた。イエス様の言うことより、自分の考えが一番大事!と思ってしまう「かたくなな心」。そのことに気づかずに自分を「善」と思うことから救い出そうとしてくれています。

  でもイエス様はそのことをいけないと責めたりしていません。「自分が正しい」と思ってしまう私たちの心を知っています。それでも気が付いたときに「ごめんなさい」と言える人を赦してくれます。そして大切なこと、神様のところに戻っておいで、と固くなってしまった私たちの心を神様に向けさせ、今から新しい神様との関係をスタートさせて欲しいと願ってくれています。