礼拝説教8月9日

「あなたがたも同じようにしなさい」石丸泰信牧師
フィレモンへの手紙1-25節

『フィレモンへの手紙』には、オネシモの「その後」のことは書いていません。パウロの、この言葉で締めくくられています。「あなたが聞き入れてくれると信じて、この手紙を書いています。わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう」これは「オネシモをわたしと思って迎え入れてください」と言っていたことを指しています。

オネシモはフィレモンの家の奴隷でした。しかし、主人を裏切り、逃げ出した人です。そしてパウロの下へ行き、そこで福音に触れキリスト者になります。そのオネシモをフィレモンの家に送り返すのです。一般的には逃亡奴隷を再び迎えるということはありませんでした。それを承知の上でパウロは頼んでいるわけです。このオネシモを「わたしと思って迎え入れて欲しい」

そして「その後」はどうなったのか。『コロサイの信徒への手紙』にオネシモという名が出てきます(4:9)。コロサイ書は、この手紙よりもより後に書かれた手紙です。つまり、赦され受け入れられて、ここに名が記される者となったのです。さらに、『イグナティオスの手紙』の中に「エペソ教会の監督オネシモ」という名が出てくることから、彼は教会の監督になったと見ることもできます。もちろん、同一人物であるかは推測の域を出ません。オネシモという名前は当時、多かったからです。名の意味は「役に立つ者」。パウロも彼の名をもじって「以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています」。その名の通りですと言っている場面があります。いずれにしても、彼は「その後」、少なくともパウロと一緒に働くものとなったわけです。

そして、こうも言われています。「パウロの死後、パウロ書簡の収集活動の中心を担ったのがオネシモだと思われる。彼自身が書簡集に『フィレモンへの手紙』を編入し、それがやがて正典となっていったのではないか」。確かに、この手紙が聖書に収められているのは不思議です。他のパウロ書簡と違って極めて個人的な内容を扱っている手紙に見えるからです。それなのになぜ?という問いに対して、オネシモ自身が残したと推測するわけです。そのおかげで、今、わたしたちの手元にある、と。

自分の過ちが書かれた手紙を残すことは自分の過去を晒すようなことです。多くの人がオネシモの過去を知ったでしょう。それなのに、どうしてできたか。彼は自分の過去の過ちを大きく赦された過去として受け止め直したのだと思います。

主イエスの言葉に次のものがあります。「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」(ルカ7:47)。例えば、同じ負債を赦された二人がいて、片方はラッキーと思い、自分の謝り方が上手かったと考えた。この人にとって赦しの大きさも小さく感じるでしょう。他方、赦してくれた相手の痛みを見、ただただ感謝する人は、赦された金額に依らず、大きく赦されたと感じたでしょう。赦しの大きさは、罪の大小ではなく、受け止め方の大小だということです。そして、それは、その人の「その後」で分かる。オネシモの「その後」の生き方も、これに重なるのだと思います。神とフィレモンに赦された、その赦しの大きさを証しするように彼は生きました。

そして、それを彼にさせたのは、二人の間に立って仲立ちしてくれる存在があったからです。同じルカ福音書に「実のならないいちじくの木」の譬えがあります(13:6-)。実のならない無花果の木を見て主人は切り倒そうとします。そこに園丁が現れ言うのです。「『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください』」。この庭師が何を象徴しているのか。主人が神、無花果の木がわたし。執り成す園丁は主イエス・キリストかも知れません。いずれにしても、こういう執り成しがあって、わたしたちは今、立っているという譬えです。別言すれば、こういう園丁の執り成しが、わたしたちには必要ということです。「待って下さい。彼はわたしにとってオネシモ(役に立つ者)です」。そう言ってくれる人がいて、彼の「その後」があったわけです。パウロ自身もそうでした。主ご自身に「待ってください」と言って執り成しをされた人。そして、それを大きなものとして受け取った人です。

時に自らの過去を、もう変わることのない運命の様に感じて縛られてしまうことがあります。対して、臨床心理学者の河合隼雄は1つの事例を提示して「そういうものを運命とは言わない」と言います。外国で一人は司教になり、もう一人は盗賊になった一卵性双生児の事例です。2人とも同時期に家出をし、それぞれが空腹のために盗みに入ります。一人は偶然、盗賊に見つかり、その集団に入る。その後、頭角を現して大盗賊になったそうです。もう一人が盗みに入った場所は教会でした。そこで神父に諭され回心して、ついには司教になったというのです。しかし、司教になる運命、盗賊になる運命というものはない、と言います。つまり、状況や環境が自分の人生を決める決定的な要因ではないということです。そして、こう言います。「それを、後でどう歌い上げていくかは一人ひとりの人間に任せられている」。司教も「その後」、その地位に甘えて自堕落な生活になるかも知れません。他方、盗賊は「その後」、悔いて貧しいながらも聖者のような暮らしをするかも知れない。出来事の受け止め方によって「その後」は、まったく異なったものになっていく。オネシモの過ち、オネシモへの赦し、それをどう歌い上げるのかは彼自身に任せられていました。わたしたちもそうです。